コーヒー≠甘い飲み(物)

岩波日本古典文学大系古事記』上巻・迩迩芸命より抜粋

爾に大山津見神、石長比売を返したまひしに因りて、大く恥ぢて、白し送りて言ひしく、「我が女二たり並べて立奉り由は、石長比売を使はさば、天つ神の御子の命は、雪零り風吹くとも、恒に石の如くに、常はに堅はに動かず坐さむ。亦木花之佐久夜毘売を使はさば、木の花の栄ゆるが如栄え坐さむと宇気比弖貢進りき。此くて石長比売を返さしめて、独木花之佐久夜毘売を留めたまひき。故、天つ神の御子の御寿は、木の花の阿摩比能微坐さむ」といひき。故、是を以ちて今に至るまで、天皇命等の御命長くまさざるなり。


【現代語訳】
この時、オホヤマツミノカミは、イハナガヒメを送り返されたことを甚く恥じて、「我が娘を二人並べて送った理由は、イハナガヒメを遣わしたのは、天孫(ニニギ)の子孫の命は雪が降ろうと風が吹こうと、常に岩の如く頑丈に揺るがぬように、またコノハナノサクヤビメを遣わしたのは、花の咲き乱れるように華やかになるように、と願って奉ったのです。しかし(イハナガを返されるならば)、天孫の子孫の寿命は花の如くアマヒノミでしょう」と申し上げた。こんなことがあったので、この時から、歴代の天皇の寿命は(昔ほど)長くなくなってしまったのだ。


人はいずれ死ぬことになった。遠祖が石を選ばなかったからだ。
俗に「バナナ型神話」と呼ばれるもので、人類の祖が神に自分の食べ物をバナナか石か選ばさせられて、バナナ(植物)を選んだ。それが岩石のような長生を得られず、死の定めを辿るようになったと所以だ。

類型は世界各地に見られ、日本神話では、このニニギとイハナガ・サクヤ姉妹の話がこれに該当する。
天孫ニニギがサクヤビメ(花)とのみ結婚し、姉イハナガヒメ(石)はその醜さから親元に返した。姉妹の親オホヤマツミはニニギにこう告げた。

「アマヒノミ」

この語義は未詳で、正確な意味が未だ解っていない。
“甘いのみ”だろうか。



今朝、オレはダイドーの自販機でブレンドコーヒーか無糖コーヒーか選ぶハメになった。
悩んだ挙句、無糖を選んだのだが、

「あた〜り〜。30秒以内にもう一つ選んでね!」

え、ちょっ。


……結果、オレは普通のブレンドコーヒーも手に入れた。


もしこのダイドー自販機が人類の生命を司る神だったら、オレの運命や如何に。

ブレンドコーヒーは当然サクヤとして、無糖がイハナガなのか……?
いや、裏を掻いて逆か……?
いやいや、仮に無糖がイハナガだとして長生を得られるとは限らない? 単にコーヒーたくさん飲めるってだけか?
ならば実際、今日は何か知らんがコーヒー、缶で2杯、カップで2杯飲んでるし、効果あったってことだな。
じゃあ、サクヤの効果はいつ出るんだ? つーかサクヤの効果は何だ?

いやいやいやいや待て待て待て待て。そもそも自販機が神って。